私の人生は介護と共にありました。
私の介護の始まりは祖母でした。この時私は22歳。
糖尿病から腎臓病を併発して入退院を繰り返していた祖母は、入院を嫌がり、最後は自宅2階の自分のベッドで家族が見守る中息を引き取りました。
両親が健在だったことで、私が主介護者になることもなく、介護の苦労は全くありませんでした。この時初めて最期の時がくると下顎呼吸が始まるということを知りました。
次は私が24歳の時。祖父が脳内出血で倒れました。
病院に救急搬送され、それから1年5ヵ月後に病院で亡くなりました。仕事を辞め英国留学をしていた私は急遽帰国し、それ以降初めてとなる主介護者となりました。
ほぼ毎日病院に通い、介護の大変さを感じてはいましたが、在宅ではなく病院だったこと、自分の他に両親もいるという点で気分的には楽でした。
しかしこの時すでに、母には認知症の症状が現れ始めていました。
次は私が29歳の時。正式にMRI撮影で母が若年性アルツハイマー型認知症だとわかりました。
それから私が55歳まで在宅介護は続きました。
その間私が49歳の時、父は脳腫瘍で帰宅途中に倒れ意識不明のまま2カ月半後に亡くなりました。この時気管切開の手術を受けるか、腫瘍の組織検査をするかなど、選択を迫られました。意識が戻ることなく父は病院で亡くなりました。家に連れて帰って来られず、一人で逝かせてしまったことを今でも後悔しています。
私がこのサイトの作成を始めたのは、2023年6月。母が亡くなり一人になってから2年3カ月が経った時でした。私は自分の人生において何も成し得ず、誇るべきものもないと思っていました。しかし苦しみながらも母を介護し自宅で看取ったことは、私の人生に意味を持たせてくれたと思っています。
私が介護の中で学んだこと、自分なりに工夫して取り組んだことが、皆様のお役に立てればと思いこのサイトを立ち上げました。
年ごとの、母の症状や、詳細も紹介する中で、私の心身の状態など、その当時は口にすることがなかったことについても書きました。あまりにも個人的なため、人様の目に触れる形で公開することを躊躇しました。人によっては気分を害されるかもしれませんが、ご容赦頂けますと幸いです。
そして最後の1年半毎日死にたいと思いながら、もうこれ以上は無理だと思いながら、なんとか耐えて母の最期を看取った私が現在どのような生活をしているのかもお伝えしたいと思います。それが今介護に苦しんでいる方の希望となれば幸いです。
甚だ個人的な経験ではありますが、どうぞご覧下さい。