目次
母88歳の年 / 私55歳の年
症状
- 嚥下(飲み込み)の状態が悪い時出てくる
※唾や食べ物がひっかかり咳き込む等。しかし咳は気管支に入るのを防ぐためのもので必要。 - 大声を出さない日がぽつりぽつりと出てくる
- 12月突然の大きな痙攣
詳細
この年の2月からコロナが日本を含め世界中に広がりました。感染対策をとりながら訪問サービスを続けて頂いたおかげで、母は変わらずいつもの生活を続けることが出来ました。
食事は咳をしたり口にため込んでなかなか飲み込まなかったりと、昨年に引き続き食事を残すことがありましたが、食べられるだけ食べたらいいという気持ちで不安はありませんでした。時間も30分ぐらいをめどに、食べ終わらせるようにしました。
大声は変わらず続きましたが、何日か続くとぱたりと今度は一日中静かという日がみられるようになり、母のエネルギーが少しずつ減っていっている感じがしました。
日によって、食事の摂取や、歩行、また痰が絡むなどの状態が、良かったり悪かったりと、当たり前ではありますが状態は一定ではありませんでした。
アルツハイマーの症状の一つで、体のヒクつきというのがあり、以前から母にもその症状がみられました。
この年3月早朝にその症状が出て、2週間ほどいつもと違う状態が続きましたが、その後はまた元の状態に戻りました。
しかし12月の早朝今度は今までにない程の大きな痙攣発作がおきました。目を見開き、体は痙攣でガクガクと震え、呼吸も苦しそうでした。いつもと違う様子にすぐに主治医の病院に連絡し、折り返しすぐに当直の担当医から連絡があり、状況を説明しました。その頃には痙攣も落ち着きつつあり、ひどくなることはなく様子を見ることになりました。その日は朝一で看護師さんが母の様子を見に来て下さいました。
振り返って思う事、心境と体調
12月の痙攣発作の時、すぐに病院と連絡が付き主治医ではありませんでしたが、当直の医師と話をすることができてどれだけ心強かったかしれません。お世話になった病院は在宅医療に力をいれており、24時間365日の対応をしてもらうことが出来ました。
そして医師(外来もされている)や訪問看護師の間で患者とその家族の情報が共有されていました。そして母は利用することはありませんでしたが、入院の設備もありましたので、緊急避難的に入院させてもらえることも可能な状況でした。
訪問診療をお願いする場合の条件として、いつでも対応してもらえるというのは、在宅介護をするにあたり一番重要だと思います。
私の状態はというと、年の初めには、すでに「もう死にたい」「生きているのがつらい」と「母記録」に書いていました。
嬉しいとも楽しいとも感じることはなく、泣くこともなくなって心はもう死んでしまって石のようでした。
毎日不安から解放されたい一心で大切な母の死を願い、そのことで自己嫌悪に陥り、結局自分で自分を不幸にしていました。
こうして自分のことばかりを考えていた私でしたが、ある日果たして母の人生はどうだったのだろうかと考えた時に今さらながら母の苦労を思い、母は幸せだっただろうかと考えるようになりました。
若い頃には楽しい時期もあり昔はよくその頃の話を聞きましたが、その後は結婚当初から義両親と同居をし、忙しく仕事をし、休日は家のことで手いっぱいで好きなことも出来ず。義両親を看取りようやくこれからと言う時にはすでに若年性アルツハイマー型認知症になり、老後を自由に楽しむことさえ出来ませんでした。
そのことに思い至ってからというもの、あれほど私の体に刺さるほど、精神をおかしくするほどの母の大声は、うるさいと感じることはあっても私の精神を疲弊させるものではなくなっていました。
しかしこのような気付きがあったにも関わらず、現実に起こる母の変化に不安と恐怖を感じ動悸がし精神状態は相変わらずよくありませんでした。
私の思考は堂々巡りで・・・死にたい➡早く介護から解放されたい➡母は頑張っている➡こんなことを思ってはいけない➡母の人生を思い返す➡母の為に尽くすのみ➡母の変化に不安を通りこし恐怖を感じる➡死にたい・・・これの繰り返しでした。
苦しい毎日ではありましたが、介護が終わってから始めようと思うと、それを待ち望み母の死を願うことに繋がってしまうという思いもあり、下記のことを始めました。
①パソコンを購入
②オンライン英会話の開始。※年内で終了。継続はせず。
③パソコンの勉強を開始。メンバーシップ会員となる。※毎週土曜にLIVE講座。母の就寝後に参加。
介護という状況から逃れることが出来なかったので、考え方を変えることで何とか乗り切ろうとしていましたが、長くは続かず、体調は精神の影響を受けギリギリの状態が続きました。