母87歳の年 / 私54歳の年

症状

  • 食事を残す
  • 大声をずっと出し続ける
  • 残った歯と入れ歯の調節が必要となる

詳細

食事は昨年に引き続き完食することが難しい状態でしたが、食事の摂取量は大きく減ったわけでもありませんでした。
ある日グラグラして今にも抜けそうな歯があることに気付き、ケアマネジャーに相談し、訪問歯科サービスをお願いすることにしました。訪問時には既に歯は自然と抜けていましたが、食事の摂取量が減ったことで歯茎が痩せてしまい入れ歯の調整をしてもらうことになりました。
珍しいことに、その歯科には嚥下の専門家がおられ、母の食事の様子を見てもらい出来ることはないか教えて頂きました。母のように奥に食事を送ることが出来ない「ためこみ」というのはよく見られる症状だということでした。

母は以前から大声を出していましたが、この頃になるとそれはよりひどく一日中大声を出すようになっていました。
なぜ母が大声を出していたのか? 私にはその理由が最後までわかりませんでした。ただ一つだけわかったのは、声を出したらずっと出してしまっている方が楽だったのかもしれません。その証拠にくしゃみをすると、そこで大声が止まって静かになっていましたし、吸引をすると静かになることも多かったです。

振り返って思う事、心境と体調

食事を残すことが多くなってきた母を診て、主治医から飲食が出来なくなった時はどうしたいと考えているか、改めて私の考えを聞かれ、点滴はせず自然に任せたいと伝えました。こうした具体的な話をすることで考えを共有することは、とても大事だと私は考えていますし、実際私は安心することが出来ました。
※詳しくは「看取り」をご覧下さい。

訪問歯科は病院内でする治療を在宅でしてもらえるものです。以前は車で高齢者歯科がある歯科大まで行ったこともありましたが、在宅で治療してもらえる方が本人にとっても家族にとっても負担が少ないので、ケアマネジャーに相談の上検討されてもいいかもしれません。
※在宅での歯の手入れについて詳しくはこちらをご覧下さい。

この年も大きく母が体調を崩すことはなく、ある意味安定していましたが、昔と比べると母の状態は徐々にそして確実に悪くなっていっていました。
しかし、そんな状態にあっても私を驚かせ喜ばせるようなこともありました。入浴後全てが終わり、ベッド脇のポータブルトイレに座らせると、すぐに排便があったのです。入浴中にすることも、入浴後ベッドに横になっていた間にオムツにすることもなく、我慢してちゃんとトイレでしてくれたのです。私は嬉しく思うと同時に、母も頑張ってくれているのだとしみじみ思いました。

私の体調はと言えば、年明けからずっと右手のしびれ、首肩のコリそして腰左側の痛みに左脚のしびれが続きましたが、母を家に残し病院にいくことが出来ず、痛み止めの服用や座薬の使用で凌いでいました。2月には軽いぎっくり腰になりましたが、母のリハビリ担当者に痛みを軽減させるストレッチを教えてもらい、なんとか介護を続けました。
過労は慢性化してある日過度の過労から心臓発作で死ぬかもしれないと思い怖くなる時もありました。何度ももう駄目だ、限界だと思ったところを耐えてさらに乗り超えました。何度限界を超えたかしれません。介護生活が長くなるにつれ、限界が訪れる期間はどんどん短くなっていきました。

私の精神状態は上向くことはなく、母の大声にさらされる毎日で、精神的ダメージは年を追うごとに大きくなっていきました。そしてどこか痛いのではないかと心配にもなりました。
夜ベッドに横になってからも続く大声は、昼間と違いまるで肌に突き刺さるようで耐えがたく、そんな時は衝動的に母に手をかけてしまわないか自分で自分が怖くなりました。
早く、一日でも早くこの介護生活から解放されたいと、母の死を願うような自分が情けなく、ようやく眠り静かになった母のおだやかな寝顔を見て、申し訳なく思うのが常でした。

ずっと母の担当をしてくれて、月一度の訪問では私の話を根気強く聞いてくれていたケアマネジャーはこの年の夏に辞められました。「母記録」には、ほぼ毎日のように死にたいと書いていました。そして母の調子がいい時(食事が上手に食べられた時や、歩行が安定していた時等)、ベッドに横になるとすぐに静かに寝てくれたような日は特別で、今日は死にたくならなかったと書いていたほどです。

このように書くと怖く思われるかもしれませんが、私は心配が強く、またこのくらいでいいや、と思うことが出来なかった為に精神的に苦しい思いをしただけです。協力をしてくれる人が周りにいて、精神的に余裕を持つことが出来れば、あとの身体介護自体、私の場合は大変ではありませんでした。