母83歳の年 / 私50歳の年

症状

  • お尻の肌トラブル
  • 胸の下の肌トラブル
  • 唾が引っかかり咳をする
  • 口の奥にねばねばしたものが上がってくる
  • 歩行時、足の運びが悪かったり、お尻が落ちることがある

詳細

母は、上記のような症状はありましたが、大きく体調を崩すことは在りませんでした。
ただ昨年に引き続き肌トラブルにはいつも悩まされました。胸の下は汗疹で、夏になると肌が密着しているところに汗疹が出来やすかったです。※詳しくはこちら

父が亡くなったため、歩行時に何かあっても一人で何とかしなくてはならず、床に座りこんでしまわないように、それによって母にケガをさせないように、とそればかり心配し緊張で動悸が激しくなりながら、椅子を動線上に置き何とか少しでも歩くようにしていました。

振り返って思う事、心境と体調

昨年11月に父が亡くなってから、母の入浴の時間に合わせて必要な機関に行き必要な手続きをし、その後は父の遺品(本、レコード、書類、洋服等)、その他いつか整理しなくてはと思っていた未開封の食器、壺や、使っていない家具などを一気に処分したり、買い取ってもらったりしました。遺品の整理は難しいと思いますので、私のように一気に処分してしまわずに、手放せる時にしても良いと思います。

父が亡くなっても、実感がなく夢を見ているようでした。霧の中にいて自分が生きているのかもわからないような不思議な感覚でした。父の死を悲しむこともないままに、日々の介護は休みなく続き、長年積み重なってきた心配、不安、恐怖、緊張は更にひどくなり私はいっぱいいっぱいの状態でした。今日も一日が終わった。今日も生きた。頑張った。という思いで毎日を過ごしました。

この頃の私は朝晩に理由もなく気分が落ち込むことがあり、口数が減り、体はだるく、食欲もなかった為か低血糖のような感じで体に力が入らず震えがきていました。以前に比べ、母がよく寝てくれるようになったにも関わらず、私はいつも神経過敏でぐっすり眠ることが出来ず、安定剤を睡眠薬代わりに飲むようになりましたが、それでも深く眠ることは出来きませんでした。

万が一私が死んだ時の為に、ケアマネージャーの知り合いがいる施設に母の入所の申込予約もしました。私に何かあったらというのは常に考えていました。死んだ時はもちろん、事故、病気などによる入院などについてもいつも考え、それはかなりのプレッシャーでした。母の介護中私ががん検診を受けなかったのは、もし見つかったら治療などで母の介護が十分に出来なくなると思ったからでした。とにかく自分よりも母の方が大切で、優先順位は常に母が上でした。

私はセルフネグレクトの状態だったと思います。このような状態で介護していたことを良かったとは思いません。難しいかもしれませんが、体調が悪い時は日ごろからお願い出来る身近な人やサービス期間を探し、病院に行ける体制を作っておいて、早めに受診することが大切だと思います。
私の場合は、母を誰かに託すことの不安と、自分で何とかしなくてはいけない、他人も私がなんとかするだろう、そうしてほしいと思っているに違いないという、強い思い込みからかたくなに人に頼ることをしませんでした。