目次
母81歳、母82歳の年
症状
2013年
- 尿の出が悪い
- お尻が赤い
- 右胸の下、鼠径部の肌トラブル
- 歩行問題
2014年
- 胸の下が赤くなる
- お尻が赤く、皮がむけ出血
詳細(2013年)
尿は2年前の時ほどひどくはありませんでしたが、普段は尾てい骨辺りをコソコソすると排尿があったのが、排便を促すときと同じように尾てい骨のあたりをげんこつでトントンと刺激しないと出なくなりました。※詳しくはこちら
あまりに気になったので尿検査をしたのですが、結果は異常ありませんでした。
歩行に関してはこの頃から、夏に向け気温が上がり始めると筋緊張が緩み腰が安定せず、足のふりだしが悪くなり、冬になると逆に筋緊張が高まり腰が安定し歩行も夏に比べると良かったです。
大声は相変わらずで、夜中や朝方に大声で起こされることがありましたが、夏ごろから少しずつ寝つきが良い日が増えて行きました。
全体的にこの年母は安定して過ごせたと思います。
詳細(2014年)
胸の下は薬を付けるもなかなかよくなりませんでした。薬の軟膏を何度か変えたこともあり、何を塗ったらいいのか、そもそもこのまま塗り続けていいのかもわからず、改善の兆しも見えぬまま、とにかく清潔と乾燥を心掛けました。
お尻は片方だけ皮がむけましたが、床ずれとは違う類のようでした。どうするのが一番いいかが分からず、後にプロスタンディンという軟膏を塗って吸着力のつよいキズパワーパッドなどではなく、ラップで保護する方が効果的だということが分かりました。※詳しくはこちら
他には大声を出し、目をぎゅっと閉じ顔をしかめるような様子を見て、どこか痛いのではないかと不安になることもありました。
振り返って思う事、心境(2014年)
この年9月に父が帰宅途中で倒れ救急搬送され、脳腫瘍があることが搬送先で初めてわかり余命は3カ月と言われ、意識が戻らないまま2カ月半後に亡くなりました。
救急病院から転院を告げられた時、父を自宅に連れて帰って家で介護することも、私さえ頑張れば出来ないことはなかったのですが、身内の反対を押し切り協力が得られない状態で、私一人で父を介護する覚悟を決めることが出来ませんでした。自分の弱さの為に、転院先の病院で父を一人で逝かせてしまったことを今でも深く後悔しています。
父が倒れて亡くなるまでの間、母に大きな体調の変化はなく過ごしてくれたことで、私は随分と救われました。そしてこの時初めて、訪問ヘルパーを頼み(一部は実費で)他人に母を託し、2時間以上離れ父の病院に行きました。
訪問ヘルパーさんへの依頼内容
- 母の介護食調理
※材料、分量、調理方法を書いた紙を準備 - 除圧のため、座りっぱなしにせず、30分に1度ぐらいの割合で椅子から立たせる
- 水分補給
トイレへの誘導などは事故が怖くお願いしませんでした。帰りが遅くなると母が一人になる時間が出来るので(10分程度だったかと思います)、とにかく病院からの帰りはいつも急いでいました。
父が亡くなってからも、少しは自分の時間が持てるようにと引き続き訪問ヘルパーをお願いしましたが、お願いしたように母の介護食が作れていなかったこと、母と離れてまで自分の時間を持つことが息抜きにならなかったこともあり、ほどなくして終了しました。
母の調子がいい時は私の気分もよく、悪い時は私の気分は沈みました。私の気分は母の調子によって大きく左右されました。そしてそれは次第に調子がいい時でも、次に何か悪いことが起きるのではないかと、結局調子が良くても悪くても私の不安や心配、緊張は無くなることはなくそれは年々ひどくなっていきました。
私の場合は訪問ヘルパーのサービスは、父が亡くなって以降それほど効果的とは言えませんでしたが、人によっては負担を軽くし、体と心を休めたり、好きなことをして気分転換をすることも出来ますので、まずはケアマネジャーに相談してみて下さい。