母79歳、母80歳の年

症状

2011年

  • 6月 上半身を前に倒すと大声を出し痛がる様子をみせる
    ※痛みがなくなるまで1カ月以上を要する
  • 6月 同時期に尿量が極端に少なくなる
  • 8月 左あご赤く腫れ発熱
    ※炎症反応の数値高く抗生剤を服用。数日で完治。

2012年

  • 脚の衰え著しい
  • 一度止まると、その後前に足が出せない(手引き歩行の際)
  • 1cmの段差を越えられない(段差をなくす工事を依頼)
  • 右足甲のみにむくみ
    ※朝はむくみなく、寝るときにむくみがみられる
  • 9月 ヘルペス発症
    ※2008年にヘルペスの予防のため、水疱瘡予防用ワクチンを接種済(父の勧めによる)
  • 12月 発熱。
    ※炎症反応の数値高く抗生剤を服用。

詳細と家族の心境(2011年)

2011年は上記の「症状」に示したような状態があり、その度にひどく心配し、精神的に参りました。痛みに関しては母の負担になると思いレントゲンを撮ることもしませんでした。がんの疑いがあった時も、検査の負担や、そもそも大変な治療を受けるつもりがないことを考慮し、詳しい検査はしませんでした。主治医も検査を勧めることはありませんでした。

訪問サービスを始めて2年目。私は母の体調の変化にますます神経質になり、不安は高じる一方でした。外出しても10分もすると母のことが心配で、自宅にいる父に母に何か変化はないかと電話をしていました。父はあきれていましたが、私は自分の不安を打ち消すことが出来ませんでした。外出するときは念の為ベッドに寝かせるようにしました。

母だけではなく父にも色々なことが起きました。年明けには帰宅途中に転倒し、右手首を脱臼しギプスをして過ごすことに、そして7月には顔面麻痺になりました。

振り返って思う事(2011年)

検査などに関しては、治療をすればよくなり生活の質が上がる場合に、するのがいいかと個人的には思います。
検査自体が辛いものであったり、治療が辛いものである場合の本人の負担と、それをすることによる効果と生活の質を比べ、家族で話し合った上で決めることが大切かと思います。

詳細と家族の心境(2012年)

歩行のバランスと足の衰えは顕著で、歩く距離も短くなりました。
段差をなくす工事をしてもらったり、寝室から居間に行くまでにいくつも椅子を用意して、立ち止まってしまった時に腰掛けられるようにしていました。
一番怖かったのは、脚に力が入らず膝折れして床に座り込んでしまうことでした。私一人では母を床から立ち上がらせることはできませんでしたし、捻挫や骨折などで寝たきりになってしまうことも心配しました。
毎回緊張しながらも、なるべく足が弱ってしまわないようにと、距離が短くなっても歩く練習をしていました。

日中大声を出し続ける母が静かになるとどこか具合が悪いのではないかと心配になり、洋服や布団の調整、部屋の温度と湿度などにも常に気をつかっていました。むくみのある右足甲は夜ベッドに横になった時に、リンパマッサージをしました。とにかく出来ることは何でもし、それをしなかった時に、母に何かあり後悔するようなことがないようにしました。

訪問サービスを始めて完全在宅介護となって3年目。不安と心配と緊張の毎日で私は鬱のような状態になりました。母が寝てからの食事作りも要領が悪く時間がかかるようになり、食事の片づけをする気力もなく、台所に行くまでに1時間ほどかかっていました。私は出来るだけ薬を飲みたくなかったのでが、見かねた母の主治医が気持ちが楽になるからと抗不安剤を処方してくれました。

この年4月父が台所で意識を失い卒倒、そして9月に再び倒れた際は頭をひどく打ち救急車で運ばれ3週間入院しました。幸い後遺症はなく退院しましたが、原因は不明のままでした。

振り返って思う事(2012年)

在宅で介護をする限界は3年と言われているそうです。そしてそれが5年ともなれば刑罰だと。完全在宅介護は楽なことではありませんが、気持ちの持ちようで少しは楽になれるかもしれません。
私のように薬を飲むことをためらう方もおられるかもしれませんが、薬を飲むことで私は楽になりましたので、医師に相談の上服用も選択肢の一つとして考えてもいいのではないかと思います。
一番改善がみられたのが、イライラがなくなったことでした。それまで父にはつらく当たってしまいましたが、もっと早く薬を服用していたら、無用な衝突を防げたのではと思いました。