母73歳と74歳の年

症状(2005年)

  • 表情が乏しくなる。
  • 笑顔が少なくなる
  • 言葉数が少なくなる。

詳細状況(2005年)

この頃から母は徐々に表情が乏しく笑顔が少なくなっていきました。
言葉数も少なくなり、決まった単語を3つほど口にする程度でした。(「お茶」「なーもない」など)
思い出したように普段使わないような単語を口にすることもありました。(「ありがとう」や「ちょっとまって」など)

母の活力の低下を感じ、デイケアを週に1日、ショートステイを週に1回1泊に減らしました。デイケアでは夕食の提供が中止となり、母の帰宅は夕方5時頃になりました。食事はこの頃普通食でしたので、夕飯を準備することに特別手間はかかりませんでしたし、早く帰ってきてくれることを嬉しく思ったほどでした。

振り返って思うこと(2005年)

母の睡眠は良かったり悪かったりで、それは薬の調整によって変わるものではありませんでした。
眠れない時は面白いもので、日中は忘れていた言葉を、寝言のようによくしゃべるので、母の語録を作ったほどです。残念なことにそれもだんだん話すことがなくなって、母は現実でも夢の中でも言葉を失っていきました。

母が元気だった頃にもっとたくさん母から色々な話を聞いていればよかったとそのことをとても残念に思います。父は母が亡くなる7年前に突然他界しましたので、父から母のことを聞くことももう叶いません。両親が元気なうちに昔の話を聞いておかれるといいと思います。
それと両親の昔を知る友人と挨拶をし、顔見知りになっておくことで、自分が知らなかった昔の話を聞くことが出来るということもあります。

詳細状況(2006年)

この年一番の出来事は、6月のショートステイの時、入浴中に母が1度のやけどをしたことでした。母をお風呂に入れる前に湯加減も確認せず、漫然と入浴させた為に起きた信じがたい事故でした。
その際水をかけられたのでしょう、母は熱を出してショートステイ先で点滴を受けることになりました。
この時は5日間ほどで良くなり、また事故後の対応について施設側に問題はなかったものの、私の施設への信頼はなくなりました。
7月にはショートステイの利用を止め、デイケアを週1日から3日に増やしました。
母の反応は昨年に引き続き更に鈍くなり、「あー」と声を出すことが多くなりました。

振り返って思うこと(2006年)

施設での事故は、人にお願いすれば起こりうることと割り切ってはいけないと思いました。
特に不可抗力で起きたことでない事故であればなおさらです。
私は母のショートステイをすぐに中止すべきと言いましたが、父がそれだと施設に対して角が立つと、事故後も一度だけ利用をしました。

施設のスタッフの方が頑張って働いておられるのは私も理解していますが、それでも事故を起こした施設側に忖度して何も言わずにいるのはよくありません。
必ずなぜ事故が起きたのか、そして今後の改善策を出してもらうなど、きちんと話し合うことが大切です。こちらから提案をしてもいいと思います。事故が起きて痛い思いをするのは本人で、介護がより大変になるのは介護者ですから、後で、あの時きちんと話しておけばよかった、と後悔しない為にも話し合いをされることをお勧めします。


実はこの後、2007年に右鎖骨骨折、2008年に左肩骨折、2010年に左鎖骨骨折の事故が起き、デイケアの利用も中止することにしました。
2回の骨折事故が起きた時も、施設側を責めることはせず謝罪を受け入れ、当然治療費も支払ってもらいました。しかし3回目は事故の状況が違い、許すことが出来ず、またこのままでは事故で亡くなってしまうかもしれないと不安になり完全に利用を止めました。
そしてこの事故を通して、父と私の考え方の違いに、理解し協力して介護をしていくことが難しくなってしまいました。