母71歳、72歳の年

詳細と家族の心境

この頃になると病気もある程度の所まで進行したので、今日できたことが次の日には出来なくなるというような劇的な変化はなくなり、ある意味穏やかに過ごせていました。一時的に発語が多くなったり、座位からの立ち上がりが良くなることもありましたが、長く続くことはありませんでした。

困ったことと言えば入れ歯と睡眠でした。

入れ歯が合わず自分で舌を使って器用に外すようになり、入れ歯の調整をしてもらいましたが、近所の歯科医で在宅の専門でなかったこともあり、意思疎通が出来ない母の入れ歯を調整するのは難しかったです。

睡眠に関しては、眠剤を処方してもらっていましたが、薬に関係なく寝てくれたり、寝てくれなかったり、何が原因か薬の調整を色々してみましたが、結局わからないままでした。
寝てくれない時は気長に母に付き合うしかありませんでした。

長い介護生活の中でこの頃が一番楽しかった時でした。母はたまに不機嫌になることもありましたが、目が合って笑いかけると母も笑い返してくれたり、機嫌よく声をたてて笑うこともありました。デイケアでも穏やかに過ごせていたようです。相変わらず物や、私たちを叩くこともありましたが、以前のように力任せに叩くというよりは親しみを持った叩き方に変わったように感じました。

一番の変化は2003年に車椅子をレンタルして行動範囲が広がったことでした。
もっと早くに借りていればよかったと思いましたが、車いすは歩けない人が使うものという思い込みから、まだ歩けていた母に車いすを使うという発想が全くありませんでした。
天気がいい日曜日には家族3人そろって車椅子で外出し、母の好きなシェークを飲んだり、車椅子でも入れるカフェに入ったりしました。この頃母を撮った写真はとても多く、動画も残っています。どれも家族3人が幸せな様子がよくわかります。

良くなることのない病気なので、病気が進み悪くなっていくことは避けられず、その時々で対応を考え母にとって何が一番いいのかを考えていくだけだと思っていました。

振り返って思う事

この頃の私にとって介護は辛くも、大変でもありませんでした。むしろ幸せを感じていました。

病気を受け入れた時から精神的に楽になります。そしてこの認知症の進行がある程度安定する中期(私が個人的に考えるもので、医学的なものではありません)にどれだけ、体力、精神力ともに温存出来るかでその後を過度の負担なく乗り切っていけるかにかかってくると思います。
調子がいい時は過度の心配をせず、その時その時を大事に過ごせればいいと思います。
車椅子はレンタル出来ますので、足が弱り長く歩くのが難しいと感じたら、車椅子を利用することも考えていいと思います。