母67歳の年

症状

  • トイレの後、流さない、手を洗わないことが多くなる。
  • トイレでは便座に座らず、マットで大小便をしてしまう頻度多くなる。
  • トイレに入っても何もしないで出てくることがある。
  • 夢と現実の区別がつかないのか、現在と過去の話も混線し、架空の話になる。
  • 現在の状況と関係のない独り言が多くなる。
  • 独り言を言っては自分でおかしそうに笑う。
  • テレビを見るように言ってもどこを見てよいかわからない。
  • 指示にたいして体が動かない。(手を洗うようにいうと、居間で椅子に座ったまま手を洗おうとする)ただし、自発的に何かするときはスムース。
  • スリッパのままで玄関に下りたり、靴のままで家に上がろうとすることがある。
  • 外出の時スリッパから靴に履き替えるのに随分と手間取る。
  • 玄関に来るように言っても、うろうろしてすぐに来られない。
  • 玄関の所に行ってうろつく。(じっと椅子に座っていられない)
  • 部屋に入っても電気をつけない。
  • 玄関のカギを開けられず、私や父が開けるまでじっと待っている。
  • 皿数の多い食事は相変わらず苦手で、ご飯の上におかずを乗せてあげないとご飯だけを食べてしまう。
  • 車の乗り降りに人の手を取るようになる。トランクが開いているとそこから乗り込もうとしたりする。
  • 私はいないのに、私がいつも座っている椅子に向かって話しかける。
  • 現実とは無関係の作話をする。
  • 朝目が覚めるとどんなに早い時間でもすぐに起きだそうとする。
  • 自分から歯を磨こうとしない。
  • 目の前にミカンやパンを置いてもすぐにはそれが何なのかが分かっていない様子。手に持たせてようやく食べ始める。
  • 急須から湯呑に上手にお茶が注げない。(時々急須を横に倒して置いたりする)
  • 寒い時でも廊下にじっと立っていたり、また部屋に入っても障子を閉めない。
  • 何度も同じことを繰り返し聞く。(直前に聞いたことでも頭に残っていない)

詳細と家族の心境

父が残した母の記録は詳細で、その頃の様子を克明に書き記していました。主介護者として日中母の介護をしてくれた父だからこそだと思います。
しかし仕事で日中家にいなかった私はこのような場面を実際目にすることはありませんでした。この頃私が何を具体的にしていたのかはあまり記憶にありませんが、仕事が終わって帰宅してからは父に代わり翌朝出勤するまでは私が母の介護をしていました。

母と布団を並べて寝ていたのですが、この頃まだオムツをしていなかったので、夜中に音がして目が覚めると母が床におしっこをしていたということが何度かあり、夜中に拭き掃除をしたりしていました。
それでも私の介護は限定的でしたので、精神的に疲れることはなく、嫌だと思うことも、そのことで母を責めることもありませんでした。日中ずっと母の介護をしていた父の方がよっぽど心身ともに大変だったと思います。

一方でこの頃母は、頭が悪くなった(決してボケたとは言わない)、何も出来なくて迷惑をかけるが、もうそんなに長くは生きていないから(これから22年を生きた)と父に言っていたようです。母も自分の今の状況や行く末を、不安に思っていたと思います。
それでも音楽をかけると一緒に歌い「あぁ楽しかった」と音楽を楽しんでもいました。
そして母は美味しいおやつを食べた時など、食べずに私に残してあげれば良かったとよく言っていたようです。病気になりながらも娘の私のことを思う気持ちはまだ母に残されていました。

そしてこの年11月に撮ったMRIで、1996年平成8年に撮った時に比べ大きな変化が見られました。脳波に乱れが生じα波がでておらず、右脳委縮が著しくなっていました。その為見当識の衰えが顕著になりましたが、左脳が支配する言語能力はあまり衰えていないこともわかりました。
しかしながら、言語能力においても日常生活のなかでその衰えは顕著で、名詞がすぐ出ず、よく似た発音の別の言葉を使ったりしました。(卵を「とまこ」等)
この年に先生から、介護認定を受けしかるべきサービスを受けた方がいいのではないかと言われ、父が区役所で手続きなど全ての段取りをしてくれて、介護認定を受けることになりました。認定の結果が出たのは翌年1月のことです。

父がどうしても一人で出かけなくてはいけない時は、玄関に父がとりつけた鍵を外からかけて出かけていました。母が好きな音楽をかけていれば2時間ほどは一人で留守番は出来ていました。

振り返って思う事

父は友達と金曜クラブというものを作り週に一度集まって、古文を勉強したりしていましたが、この年、母の症状が進んだことや、一度父が出かけるのを母が淋しがったことがあって、金曜クラブに行くのを止めました。
その頃の私は父が金曜クラブを止めたことについてあまり深刻には考えていませんでしたが、介護を離れられる大切な場所を失くしたことは父にとっては辛いことだったのではないかと今になって思います。

介護の後のご自身の人生を考えるうえでも、自分の趣味や交流関係は続けた方がいいと思いますし、もし何もない方がいらっしゃいましたら、難しいとは思いますが、自分が楽しいと思えるものや、没頭できるものを介護中に少しでも見つけられるといいと思います。