母66歳の年

症状

  • 朝食を食べないこと多くなる(食欲減退)
  • ポットからお湯がつげない。
  • 日中何度も門のところに新聞を取りに行く。
  • 意味もなく家の車に一人で乗り込む。自分でもなぜ乗ったのかわからない。
  • 障子、ふすまが閉まっていると部屋にどうやって入ったらいいのかわからない。
  • 朝夕の時間感覚がなくなる。
  • 用もないのに玄関に下りてじっとしている。
  • 服を脱ぐ途中でまた着ようとする。
  • 他所の和式トイレで用がたせない。
  • 会話がちぐはぐになり、意思の疎通がよく出来ない。
  • 階段の昇降を怖がる(特に下りの時は1段ずつ足を揃える)
  • 何度か便で下着を汚す(しかしずっと続くことはなかった)

詳細と家族の心境

父はこの年1月末に、母の病状が急激に悪化(進行)し、行動能力、指示を理解する能力が著しく低下し、行動に介添えが必要になると記していました。就職し他県で研修を受けていた私は、3月末までの予定が1月末で終了となり早く家に戻って来ることが出来ました。
ただ日中は父が母の介護をしてくれていましたので、前述した症状を私が日常的にみることはありませんでした。

母の病状が悪くなる中、引き続き父は自分が運転好きだったこともあり、マメに母をドライブ等に連れて行ってくれていました。私も休日は父や母と一緒にドライブをして、行った先で食事をしました。この時はまだ母も外食が出来ていましたが、後にさらに病状が進んだ時に、外食は厳しいと判断し、持ち帰りなどを利用し家で食べるようになりました。

この年の私6月、母へのかかわり方、考え方を変える大きな出来事がありました。
それは母と二人で近くのスーパーに買い物に行った帰りに、私の後を歩いていた母が転倒し左手首を骨折したことでした。
これをきっかけに私は母が認知症であるという事実を受け入れることが出来ました。
それは多分、骨折で痛い思いをし、ギプスをし不自由を強いられることになった母を可哀想に思ったことと、目に見える形で病人になって、私の助けを必要としたからではないかと思います。それまでは母を避けていましたが、この時を境に私は母に寄り添い積極的に介護をするようになりました。

母と同じ部屋で布団を並べて寝ていた父は、骨折後に私が母の隣で寝るようになってから、2階の私の部屋を自分の部屋として寝るようになりました。父にとって2階の部屋にいることは、母の介護から物理的に距離を置くために必要だったのだと思います。

この時64歳だった父は、仕事をする私にかわり、初めて日常的に台所に立ち料理を作ってくれるようになりました。ある父の料理中、少し目を離した間に母が一人で家から出てしまい、あちこち探し回り、結局家の車の中に一人で乗り込んでいるのを見つけました。翌年には玄関ドアの内側と外側の上に母が、一人で出られないようカギを取り付けました。

自由を奪うようでいい気持ちはしませんでしたが、少なくとも行方不明や不慮の事故に巻き込まれることはありませんでした。

振り返って思う事

悪いことが起きても、起こったことには意味があると思います。
私は母が骨折しなかったら、いつまで病気の母を拒絶していたかわかりません。不幸な事故で母は痛い思いをしましたが、私が母に愛情を持って寄り添えるようになったという点においては、この出来事は必要なことだったと思います。

家族ゆえの思いもあると思いますが、どんなきっかけであれ、病気を受け入れることが出来れば、精神的に楽になれると思います。