母64歳の年

症状

  • 家がわからず迷子になる。
  • 布団にうまく入ることが出来ず真横に寝たりする。
  • 布団を順序良く上げることができない。
  • ふすまや障子の開閉に戸惑う。
  • 居間にある自分の定位置の椅子がわからず、どこにでも座ろうとする。
  • 車をどこからでも乗ろうとする。(運転席からでも)
  • 他所で猫を見ても、うちの猫だという。(違いが認識できない)
  • 言葉が出にくくなり、無関係の単語を使ったりする。
  • ぼんやりと椅子に座っていること多くなる。
  • 1人の時に門の所に立っていることがある。
  • 電話の応答が出来ない。(常時留守電にする)
  • 仏飯を上げる。お風呂や食器を洗ったりする等の自発的行動はできる。

詳細と家族の心境

この年の1月に再度MRIをとり、以前と比べても特に異常は見られないということでしたが、症状に記したように病状の進行は早いものでした。そんな中でも自発的行動は不思議と出来ていました。

私の留学中母は毎日無事の帰国を願って神社にお参りに行ってくれていました。そして帰国後も変わらずお参りに行ってくれていましたが、ある日道に迷って帰ってくることが出来なくなり、それ以降は母が出かける時は私も一緒に付いて行くようにしました。
そして買い物もお金の支払いが難しくなってきていると人づてに聞き、私が一緒に付いていくようになりました。
母の美容院に関しては、父が送り迎えを車でしてくれましたが、私が母について美容院にいくことは最後までありませんでした。母の友人が経営する美容院で長年通ったところではありますが、店内でどこまで母がちゃんとお店の人の指示通りに出来ていたかはわかりません。

このように少しずつ母のことで自分の時間を取られるようになっていきましたが、この年に父が非常勤で働いていた仕事を辞め、私が就職したことから、全面的に父が主介護者として母の介護をしてくれました。私は帰宅してから出勤するまでの間と、休日に、必要最低限のことだけをしただけでした。

病状が進行する中、母は言葉が出にくくなってきたものの、まだ話すことは出来て意思疎通も出来ていました。道に迷うのも私や父がついていれば問題はありませんでした。食事もどれを食べたらいいか教えてあげさえすれば、自分で箸をもち食べることもできました。家族三人で休日にドライブで遠出することもありました。

振り返って思うこと

出来ないことが増えていったのは病気が原因であって、母が悪いわけでもなんでもないのに、私はまだこの時も母の病気を受け入れることが出来ませんでした。正しく言うならば、母と病気を切り離して考えることが出来ませんでした。急速に悪くなる母を前にイライラし、なぜこんなことも出来ないのかと、残酷にもそのことを指摘して母を泣かせてしまったこともありました。
でも病気が進行していく中で、一番困惑し不安なのは当の本人だったはずです。

他にも何とかしたいという一心で子供用のドリルをさせたりしていました。しかしこれが母にとってどんなにプライドを傷つけ、また苦痛だったことか、今でも申し訳なかったと思っています。
あきらめるということとは少し違う、でもこのようなことが助けにならない病気であるということを、皆様にはぜひ覚えていて欲しいと思います。

母の介護はやり切ったという思いでいますが、ただ一つこの時のことは後悔しています。この時期にもっと母に寄り添い少しでも不安を和らげることが出来ていたらと悔やまれます。そしてまだ話が出来るうちにもっと母の若い頃の話を聞いていればよかったと思います。

昔を知る家族だからこそ、病気を受け入れることが難しいし、なぜ出来ないのかという思いに苛立ちを覚えることは私も自分の経験から知っています。でも一番辛い思いをしているのは本人だということに今一度思い至って、寄り添ってほしいと思います。そして病気でなかったらもっと違う楽しい人生を送っていられただろうことを思うと、今いる環境で出来るだけ幸せに暮らしてほしいと少し優しい気持ちになれるかもしれません。