母60歳の年

症状

  • 何度も行った実家のトイレの場所が分からない。
  • 外出時目を離すとすぐにはぐれてしまう。
  • 長崎の友人宅への一泊旅行で、待ち合わせ場所を間違える。
    • 友人宅では夜中トイレがわからずあちこちの部屋の入口を開けて回る。
    • 福岡に戻るバスで、自分がどこで降りたらいいかわからない。
    • 降りるよう促されると荷物も持たずに降りようとする。
  • 演奏会でトイレに行くと自分の席に戻ってこられない。(父を見つけそこまで行こうとするが、通路ではなく人の座席の中を突っ切ろうとする)
  • 父や私の名前、そして自分の名前も書くことが出来なくなる。
  • カレンダーを見ても、日付と曜日の関係がわからない。(日付を教えても曜日がわからない)
  • 買い物での支払いが難しく、札で支払うため小銭ばかりがたまる。
  • 品物とお釣りをもらっても、どうしたらいいかわからずじっと立って待っている。

詳細と家族の心境

この頃になると母の異変は顕著になってきて、周りの人が見てもそれはわかるほどになっていました。

決定的だったのは、学生時代の友人たちと、長崎在住の友人宅に一泊旅行した時のことでした。先に書き記したような問題に直面した母を見て、さすがに心配になった友人が父に事の次第を話し、ここにきてようやく父と私は母の病気に向き合わなくてはいけなくなりました。
この時父が私を気遣ってか、淡々と事実だけを話す様子に不思議な違和感を感じましたが、これによって私は不必要な感情的混乱を招かずに済みました。

この年に、私は以前から計画していた1年間のイギリス留学を実行しました。父は非常勤でしたがまだ働いていたため、母を一人にしておくことが心配で私に行かないでほしいと言いましたが、介護は長くなるからと、父を押しきる形でイギリスにいきました。
父には申し訳なかったですが、留学を断念して親を恨むようなことにもならず、またこの一年間の楽しかった思い出がその後の介護を支えてくれましたので、この選択をして良かったと思っています。
ただ、留学中も母のことはいつも頭の隅にあり、2週間に1度かける家への電話はとても気の重いものでした。しかし側に居て母の病状が進行していくのを見ていた父の苦悩には及びません。

この年の11月に専門ではない外科病院でしたが、脳のCT撮影をした結果、異常はみられませんでした。しかし100から7を引く計算は93から出来ず、5品目再生も1つしか覚えることが出来ませんでした。この受診につなげるまでの父は大変な苦労をしたと思います。

母が亡くなってから、母が留学中の私に宛てた手紙を読み返しました。明るく楽しい母だったのですが、不安も大きかったのでしょう、手紙には淋しくて泣いているといったことが書かれていました。そして段々と手紙の字は乱れて、横書き縦書きが混じったりと、手紙からも母の症状が進んでいることが分かりました。